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拾う神

なんだか、拾われたような気持になる
偶然、チャッチした
(たぶん)山田ズーニーさんのエッセイ。

なんか、すごく腑に落ちたので残しときたいから
コピペ。(いいのかなぁ・・・)


 『希望のある日々』

どうも最近、希望の量が減ってきているような気がする。

私は、6年ほどまえに独立し、しばらくは、
どうやって社会にエントリーしていいかわからず、
収入もなく、4年間は赤字の、
先の見えない生活をしていた。

なにかしようとすれば、たちまち失敗し、
へこみ続きの日々だったけど、

なんだか正体のわからない希望があった。

いま、おかげさまで食えている。
なのに妙だ、
6年前の方がよっぽど希望があった気がする。

希望といえば、

生徒さんのスピーチで
とても印象に残っているものがある。
生徒さんのことなので、プライバシーに抵触しないよう、
改変をくわえて紹介しよう。

その人は、男性、29歳。

小学校5年のとき、引っ越したが、
その土地が、工業排水で汚染されていたために、
重い皮膚病にかかった。

学校を長欠せざるをえず。
いくぶんよくなっても登校しては、休み、を繰り返した。

どうにか学校に行けるように体調が回復したとき、
ひとりの友だちもおらず、クラスにもなじんでおらず、
それがもとで、いじめに遭うようになった。

こんどは、それで学校にいけなくなるうち、
勉強にもついていけなくなり、
集団生活にも、
どうはいっていっていいか、わからなくなり。
なんにも身につかないまま、
大学受験も、あきらめざるをえなかった。

人や社会にはいってゆけぬまま、
20代後半まできてしまったという。

その日々は、
何の経験も積まず、何のスキルも身につかず、
無意味なこと、このうえない日々だったと彼は言う。

このまま20代が終わるのかと思ったときに、
これじゃいかん、と、
一念発起して、就職しようと試みる。

しかし、落ちて落ちて落ちまくって、
150社は落ちたという。
その果てに、やっと、ある会社に社員として採用された。

悲劇はここからだった。
仕事にまったくついていけない。
なにしろ、学校にいたときから集団経験がなく、
その後の社会経験もない。
他の人が普通にやっていることが彼にはできない。

社会経験がないとはこういうことか、
なにも能力を身につけないとはこういうことかと、
日々重い知らされ、落胆し、
それでも必死でついていこうと思い、
しかし、何も身につけられなかった日々は
大きく埋めようなく、
せっかくつかんだ就職を、
自ら辞めざるを得なかったという。

この大変な人生を語る彼の言葉が、
不思議にさわやかだった。
最後の
「これからは人とつながっていきたい」という言葉が、
聞く人を勇気づけた。

「希望」という印象を残したスピーチだった。

彼より易しい状況にいても、暗い印象を残す人も多い、
彼の非常に大変な話しが、
爽やかであったのはなぜだろう?

「いちばん底を知った人間は明るい。」

と、仕事仲間のH先生がいった。
暗い人は、まだ、いちばん底まで落ちてはいない。
どこまで落ちるのか、どこがいちばん底なのか、
わからないから不安なのだ、と。

H先生は、いわゆるニートの人たちの、
社会復帰のためのカウンセラーをしている。

ニートになる原因はさまざまだが、
それまでずっと順調にやってきた、
それがあることで突然挫折を味わう。
そこで、
社会と関わる道を閉ざしてしまう人が多いそうだ。

H先生は、進路発見について、こんな話をしてくれた。
自分のこれからを決めるとき、
3つの要素で考えるといいと。

やりたいこと(WANT)
できること(CAN)
やるべきこと(MUST)

やるべきこと(MUST)というのは、

たとえば、受験生が受験勉強をしなければいけない。
親の介護が発生したから、それにあたる。
病気になったから、直さなければいけないなど、
人生の岐路で、いやでもでくわす、
自明な、やるべきことだ。

できること(CAN)というのは、

私だったら、たとえば、
小論文の編集をやってきたので、
小論文指導ができる、編集ができる、など、
経験・能力を積んできた、できることだ。

やりたいこと(WANT)というのは、

小学校の子が、パイロットになりたい。
海外で暮らしたい。
もっと面白い仕事をしたい、など。
文字どうり、夢、あこがれの、やりたいこと、だ。

CANは過去。WANTは未来。
と先生に聞いて、MUSTは目下の課題だから現在だな、
と思った。

この話、なんども聞いていたにもかかわらず、
いまさらのように響いたのは、
たぶん私がいま、進路に迷っているからだ。

「私は6年前会社を辞めて、
 会社員からフリーランスへ、編集者から書き手へと
 アイデンティティを組み替えた。
 もう、あんな大変なことは
 こりごりだとおもったけれど、
 再び、自分は何をしたいのか、
 グラグラしはじめている。
 次のアイデンティティクライシスは
 意外に早いかもしれない」

H先生にそう言ったら、
「それは、きちんと前に進んでいる証拠です」
とほめられた。
同じところにいたらグラグラも起こらないからと。

やりたいこと(WANT)
できること(CAN)
やるべきこと(MUST)
このうち、どれを、
どうすればいいのだろう? H先生は、

「CAN(できること)は、ほっておいても太る」

と言った。なるほど、そのとおりだ。
能力や経験がある部分は、
自分で伸ばそうとしなくても、
人から自然に必要とされ、
出番が多く、鍛えられていく。

私の場合も、小論文編集の経験があったゆえに、
小論文、文章表現、コミュニケーションの仕事が
自然と求められた。
いま思えば、CAN=過去の経験やスキルの部分が、
再び社会に入っていくときの手綱となった。

ところが、私はといえば、
16年会社にいたものだから、
今までできなかったことをやろう、
新しいことをやろう、と
WANT=やりたいことにばかり首を突っ込んだ。
そして、ことごとく挫折してはへこんだ。
あたりまえだ。やりたいこと=WANT、は未来。
未来のことには、
だれでも経験はまだない、スキルもない。

迷走しても、わたしは、WANTに手をだしつづけ、
そして、うまくいかなくて、へこみつづけた。
それでもなんか、わけのわからない希望があった。

私にとって希望がある日々とは、
WANTがある日々のことだ。

そう思って「はっ」と気づいた。
あの150社落ちた青年は、
150社落ちている最中は、
まだ苦しみの底にいなかった。
就職するまでは、まだどこかで、自分はできるのに、
機会に恵まれないという想いがあったかもしれない。
自分に幻想があるうちは、まだ、いちばん底ではない。

ところが就職して、
自分がまったくついていけないことを知る。
いちばん底を知ったことで、
彼は希望を見つけた。なぜか。

自分にはCANがないと気づけたからだ。

がんばって前に進んで、就職したからこそ、
CANがないことに彼は心底気づいた。
CANがないなら自明だ、
あとはMUSTとWANTあるのみだ。

WANTにアプローチしている日々が、希望のある日々。

私の場合、社会にエントリーできなかった日々の中で、
CAN=過去の経験やスキル、を活かすことに
もっと早く気づいていれば、
もっと早く、もっとスムーズに
社会に入っていけたかもしれない。
でも、それが、面白かったかどうか?

失敗しつつも、
こりず、WANTに手をだしつづけた。
それがよかった。
だから、少しずつでも前に進んでこられたのだ。

独立6年するうちに、
新しいことも、次第にCANになっていく。

ふと気がつくと、CANで手一杯の自分がいた。
過去の経験・スキルを太らせてばかりでは、
それは、希望は減るだろう、といまさらながら思った。

私は、中年から老年になっていっても前に進んでいたい。
面白がって、面白いことをやりつづけていたい。
次のアイデンティティクライシスがきても、
乗り切っていきたい。
だから、そのためにいま何を重視するか、といわれたら、

WANT=やりたいことにアプローチする

と答えるだろう。
CANは、ほっておいても太る。
MUSTは、進み続けていれば、
人生の岐路で必然的にくる。

WANTは未来。
未来に対する経験もスキルもまだ、ない。
WANTにアプローチしつづける日々とは、
失敗の多い日々だと、私は思う。



どん底の底辺から
「希望」は生まれる

まだまだじゃないか!
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幕開け

昨日、41歳になりました。

感慨深くもなく、あっさりと。

「ハタラクコト」そのものに
「ハタライテイクコト」そのことに

今、そーとー思案中のため
誕生日どころでもなく。

という意味で、今年はちょっと
いろんな意味で、腹をくくらねばならない、と
決めつけました。

誕生日という節目ですから。

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ツナガル

映画 『ソーシャル・ネットワーク』 が公開されたから?
ということでもないのだろうが・・・

登録だけしていたFacebook
友達申請がポツポツやってくる。

懐かしい方からだったりすると
驚きつつ、うれしくなる。

うれしくなりついでに、
ついぞ、連絡をとらなくなってしまっていた元同僚や
海外にいった際、お世話になった方を検索したら
登録してあったので、コンタクトすると
それぞれレスがあった!

どちらも、、、
そう、15年ぶり?くらい。

元同僚は、スウェーデンにいた。ふたりのお子さんの母ちゃんらしい。

お世話になった方は、ニュージーランド時代の
遠い親戚筋の方だが、一度U.K.(ご主人の実家)へ転居し
またN.Z.に戻っているとのこと。


いやはや。
すごいことだよ、と
ほとほと感心しつつ、
再び、再会(話)できたことに、単純に喜々とする。

まさに、Great!

続きを読む

裸一貫からやり直す!ための・・・

今朝、うっかり見つけてしまった記事。

自分のふがいなさに腹立て新幹線で全裸

つい、クリックしてしまう。

山形県出身、32歳無職男性。
帰省中、山形新幹線に乗らなくてはいけなかったのに
東北新幹線にのってしまった自分に腹を立て

服は親が買ってくれたものだから
捨てないといつまでも自立できない!

と新幹線内で全裸に、そしてすぐさまお縄。

まさに、裸一貫からやり直すにふさわしい
シチュエーション?!

・・・。


お門違いでっせ~

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『伊達直人』広まる

「伊達直人」が全国に出没している。

今朝、聴いたニュースでは昨年末より290ヶ所。
「矢吹丈」や「桃太郎」など、パロディ化、ご当地化も含めてであるが
なんだかスゴイ。
ランドセルに限らず、文房具や現金まで。

クリスマスに、群馬の児童相談所へ届けられたランドセルから始まった
この運動(?)。

四の五の言う人たちも出てきているし
賛否両論になっても仕方がないが

インフルエンザの流行と違って
嫌な思いをする人はいない。

届けられた先が先だけに、取材側も
当の子ども達の声は撮れていないが

大人がやった行為を、受け取った大人が
どう、子どもたちに語れるのか?

こそが肝心だ。


誰かが、
モノを寄付して済ます問題ではなく、もっと本質をみたうえで
問題に取り組む必要がある、とかなんとか言ってたが
それこそ、行政の出番である。


恐らく、一般市民であろう「匿名希望」の伊達直人さんは
何か、思うところがあって、その思うところを行動に起こした。

その行動に触発された、第二、第三の伊達さんが現れた、
ダケのことである。

施策として行われている「子ども手当」とは、まったく異なる類のものなのだ。

話題性に富んでいるし、火の粉を散らすように全国展開したわけだが
あしなが基金や、災害時の募金も同じだ。

「善意」は素直に受けとればいいのだ。


それ以前に・・・。

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驚くべき!?

昨年末の懸念事項のひとつ。

行ってみたら、できなかった『献血』。
すでに、鉄分不足は解決された!と思って行ったのに
テスト採血で、却下。

その後のリベンジでもあり
新年だから、でもあり
行くことに。

実は、前回驚きを隠せなかったのだが
Blogにはアップしてなかったので
今回、その衝撃を再現してみたい。

そこは、「献血ルーム」というより・・・

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本年もよろしくお願いいたします。

新年 おめでとうございます。
新年早々、まったく「早々」ではないアップで
お詫び申し上げるとともに

本年もこちらのブログへ
お寄りいただけましたら
とってもうれしい!


さて、皆さま。
新年にあたり、何か決意された、とか
何か始めた、とか
ございますか?

私、ひとつあるのですが
そこに至るまでには、いろいろなことがありました。

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訪問ありがとうございます
プロフィール

コワタリ ユミコ

Author:コワタリ ユミコ
青森県出身。

まだまだ好奇心を
増やしたい。

増やした好奇心で
行動したい。

行動したら、感動したい。

感動したら、感謝したい。

そういう46歳で
ありたい。

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