
なあんて、白ヤギさんが写っているいるだけですが・・・。
旅の途中、お世話になった方からのお手紙です。
波照間島で“おどさん”と命名してくださった、きっと波照間に嫁ぐであろう
彼女からです。
元気そうな便りと、ヤギの牧歌的な顔に
ものっすごく青い海と、暑さを思い出しました。懐かすぃ。
走馬灯のように、いろんなことが思い出され、
ちょっとしんみりしてしまったりもして。
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で、さらにちょっと前。
お世話になっている先輩が、電話をくれました。
以前、私が勤めていた会社でその先輩の紹介で入社した若者がいました。
まだ、創業間もない頃で、私もめえいっぱい力が入りまくっていた頃です。
彼は私の部署に配属され、私の元でシゴトをすることになりました。
私は、かなり厳しい指導をしていました。
ほぼ、「鬼軍曹」です。
マネジメントなど、それまでやったことがないので
いろいろな人にアドバイスをもらったり、本で読んだりはしつつも
やはり、自分が任されている事業を、しっかり確立したかったこともあり
自分が考える対顧客マインドを、絶対的なもので身につけてもらおうと思っての
鬼軍曹指導ではありました。
数年後、というか
今、振り返ってもおそろしい上司だったと、自分でも思うほどです。
しかも筋の通し方も半端なく、極道も真っ青な状況でしたから
当時のメンバー達は、皆、歯をくいしばっていたことだろうは思うわけですが。
彼もその歯をくいしばっていたひとりでした。
結果として、彼は部署異動になり、その後会社を去っていきました。
彼が会社を去る時の私の後悔は、もちろんありました。
なにひとつ、自信をつけてあげることができなかった、ということです。
だから、かける言葉すらなかった。というか、かけられなかった。
私も、余裕がまったくなかった。
育てている、と思ってはいたが、実は指導でしかなかったわけです。
いや、指導すらできていなかったかもしれません。実際は。
その後はご実家の事業を手伝っているようなことも
風の噂で聞いてはいました。それだけでした。
その彼が、その前述の先輩のところに挨拶にきたとのことでした。
奥様とお子さんも一緒に。
今は会社を立ち上げて、数名の従業員と一緒にがんばっている、らしいこと。
それで、大変なこともたくさんあるけど、そういう時は
「あの当時」のことを思い出して、がんばっていること。
「あの当時」のことは、今は本当に感謝している、と今になって思えていること。
あいつは、そう言ってたぞ!と先輩。
ああ、良かった、と。
ただただ、良かった、と。
「あの当時」は、まさに私と働いていた頃のことであり
その後の異動後のことも含めての、
短い期間でも、彼が苦しかったであろう会社でのことであり。
小さかろうが、会社の社長さん。
従業員を育てることで、初めて、同じ立場で考えることができたからか。
あるいは、「あの当時」の苦しさに比べたら
まだまだ、がんばれる!という、過去との決別なのか。
どんなでもいい。
少しでも、彼のこれからの人生の肥やしになっているのならば。
私の「鬼軍曹」時代も、少しは浮かばれるかも、と
ここでも、しんみりしてしまったわけであります。
出会った人たちが、元気でいてほしいと願うのは
元気でいることを知った時に、さらに強く思うもの。
本当に、うれしい便りたちでもありました。
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