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4月22日 日本人だもの

それは
ほんとうに、広がる田んぼの中にありました。

DSCF1279_convert_20130423001815.jpg

ベトナム中部の街、ホイアンに
日本人の墓があると聞いていたし、ガイドブックにも載っています。

もし、ホイアンに行くことがあれば
絶対、、いってみたい!と思っていたのですが
スズキヨウコ女史のおかげでいくことが叶いました。


16世紀~17世紀にかけて
ホイアンには1000人以上の日本人が定住していたようです。
江戸幕府の鎖国政策で、帰国を余儀なくされたようですが
その名残として、日本橋(来遠橋・らいおんばし)は日本人によって
架けられたと言われています。


そして
日本人・谷弥次郎兵衛さんのお墓は
繁華街から少し離れた田園の中にひっそりとありました。



※お墓への入口です。注意事項が書かれてました
DSCF1276_convert_20130423001508.jpg

田んぼに囲まれたお墓の脇には、
ベトナム語、英語、日本語で説明書きがありました。

1647年、日本の貿易商人 谷弥次郎兵衛(たにやじろうべえ)
ここに眠る。

言い伝えによれば、彼は江戸幕府の外国貿易禁止令に従って
日本に帰国する事になったが、彼はホイアンの恋人に会いた
くてホイアンに戻ろうとして倒れた。

この彼の墓は、母国の方向、北東10度を向いている。

この遺跡は17世紀にホイアンが商業港として繁栄してい
た当時、日本の貿易商人と当地の市民との関係が大変友好的
であったことの証である。

DSCF1280_convert_20130423004158.jpg

なかなか、ロマンティックな内容も含まれていて
しかも、両国の関係は友好的だったとは、
かなりステキです。


DSCF1281_convert_20130423004252.jpg



我々が、お線香をあげようとしていると
どこからともなく、自転車にのった地元のおじさんがやってきて
少し、説明をしてくれました。

戦争(恐らくベトナム戦争の方かな・・)時代の
銃弾の跡が残っていることも教えてくれました。


地元の方が守ってくれてもいるようでした。

田んぼの中にあることが
のどかであり、また常に水田が稼働しているこの国で
いつでも、このお墓は見守られているのだなあと
ちょっと感動すらしました。

弥次郎兵衛さんも本望ですよね?きっと。


大海の先に何があるのか?
私は海を航る人々を
どの国の人であろうが、尊敬するのですが

遠い昔。
戦争ではなく、
海を渡った国で友好関係を築いていた日本人に
単純に感謝したいと思うのです。


同じ日本人として
少なくとも、どの国に行ったとしても
友好的にかかわりたいと思うわけであります。



弥次郎兵衛さんのお墓には
地元の方がいないと
行けない場所でした。

そういう意味でも
本当に
いろんな意味で
感謝したいのであります。


行けてよかった。
ほんとに。



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プロフィール

コワタリ ユミコ

Author:コワタリ ユミコ
青森県出身。

まだまだ好奇心を
増やしたい。

増やした好奇心で
行動したい。

行動したら、感動したい。

感動したら、感謝したい。

そういう46歳で
ありたい。

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