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ソッコクキ

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芍薬(しゃくやく)の花ってきれいだなあ・・・

って、最近、思うようになりました。
やっと、そんな風に思える年頃になったのかなぁ。


今日は、父が亡くなって百日目。

調べてみたら
『卒哭忌(そっこくき)』
というのだそうです。

泣き叫ぶのを終える、
そろそろ涙ともおさらばしようか、
という意味が込められているようです。


「節目」というものを
日本人はとても大切にしているようにも思います。

「節目」を気持ちの切り替えに
うまく使っていたりしますよね。


私の場合・・・
親不孝者続行中であるため

月命日や、こういう節目の日に
父のことを、ちょっぴり思い出すことだけ・・・。

ごめんね、おとうさん。

でも、それとは別に
花がきれいだなあ・・・とか
今夜はいい風が吹くな・・・とか
月がきれいだな・・・

って思ったとき
亡くなった人を思い出すことが多いなあ・・と
最近、気づきました。

ひもづけられる出来事が
なかったとしても、なんですけどね。


私は、決して父親っ子ではありませんでした。

でも、思い出す小さい頃の記憶は
父と一緒にいる場面が多いのです。

妹が生まれたとき。
母と妹がいる地元の医院に
父と一緒に行って
父と手をつないで病室に入ったことや
保育器に入っている妹を覗くのに
だっこしてもらって・・・

家族でデパートに出かけたとき
母の買い物を待つ間
パチンコ屋に父と一緒に行き
何発か打たせてもらったり

農業祭のような催しには
とにかく、父についていき
父の用事(農業機械展示場での仕事)が終わるまで
父の近くを邪魔にならない程度に
うろちょろしてたり

恐らく休日出勤であろう父の車に便乗し
父の勤務先の事務所で
事務のお姉さんにお菓子を出してもらったり

でも、仕事の邪魔になってはいけないので
車の中で、家から持参した本を読みながら
車の中で過ごしたり・・・


恐らく、年の離れた妹に手がかかった母の手を
私で煩わせないように
父が連れ出していたのかどうか
定かではないのですが

とにかく
「一緒にいぐが(行くか)?」には
必ず「うん」とうなづいて
父に同行していたように思うのです。


小さい頃から
家ではあまり話をしない子どもでしたので
父と一緒にいても
特に何を話した、という記憶もないのですが
一緒に行ったり、いた場所の記憶は
鮮明にあるのです。


以前も書いたかもしれません。
多くの会話をする父子関係ではありませんでしたが
私は、常に父の背中を見ていたように思います。


芍薬の花が、花屋さんに並んで
ああ、きれいだなぁと思うと同時に

何故か、そう何故か
納棺師さんにきれいにしてもらって
棺に納めた際
妹が懇願してかぶせてもらった
赤い帽子のことを思い出しました。

抗がん剤治療の副作用で
お正月をすぎてから、髪の毛が抜け始めていたのですが
意識が亡くなって以降
毛も少なくなって寒そうだからと
妹が選んで買ってきた毛糸の帽子を
いつもかぶせていました。

診にくる看護師さんたちも
「いい帽子かぶせてもらってるねえ」
と、いつも父に話しかけてくれてたことや

棺の中で
ちょっと異色の赤い帽子が
似合ってなくて(苦笑)・・・


父も本意ではなかったでしょうが
一緒に焼いてもらいましたので
あちらの世界でも、赤帽かぶっているかもしれません。


こんな風に
節目、節目で
思い出すことしかできないけど

たまに
思い出させてくださいね。
飲み会入ったりして
節目を忘れないようにしますから・・・
(苦笑)



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プロフィール

コワタリ ユミコ

Author:コワタリ ユミコ
青森県出身。

まだまだ好奇心を
増やしたい。

増やした好奇心で
行動したい。

行動したら、感動したい。

感動したら、感謝したい。

そういう46歳で
ありたい。

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