うちにはテレビがない。
もう、かれこれテレビのない生活をはじめて8年目に突入した。結構、このネタは、皆に驚かれるが、すでに不便を感じていないので、なんともない。
テレビがない、ということで
『AERA』に取材され記事になったこともある。つまり、現代において「テレビがない」というのは普通ではないことらしい。
困ることがない、というと「ホントに?」と聞かれるが、恐らく皆無だ。テレビの話をされてもついていけない訳だが、フテブテシイ大人になった今、こっちが萎縮する、というより、話しかけた先方の方が気を使って下さることが多い。
巷では
「地上デジタル放送」なるものが始まりつつあり、2011年目処にアナログ放送が完全終了するということでなにやら騒がしいが、テレビがそもそもない私にとっては、なんの影響もない。
「ない」ということは「=不便」とも限らず、こまら「ない」ということでもある。
そもそも、テレビがないことの発端は、再上京した時にさかのぼる。再就職先は決まったものの、手持ち金は少なく、新生活に揃える必要のあるもので購入する必要があるものに優先順位をつけた。その時、テレビは三番目。冷蔵庫・掃除機・テレビの順で、テレビは2ヶ月目のお給料が入ったら購入する計画を立てた。
そうは言ってもオーディオ関係もない部屋では、少し寂しいと思い、ラジオだけは購入した。安い、ということもあったが、音がほしい、というのが理由だ。
が、結果として、シゴトが忙しく部屋にいる時間がほとんどない、ということや、ラジオがあれば情報(ニュースなど)は結構入手できるということ、あとはネットのおかげもあって、2ヶ月目のお給料が入っても、テレビは買わないことに決めた。つまり、テレビがないことに、不自由さを感じなかった、ということである。
で、そのとき振り返ったこと。
現代社会においてテレビは一家に1台、いや複数台あっても当たり前だから、新生活を始める際、それほど深く考えずにテレビを買ってしまうが、「それは本当に必要なものなのか?」を深~く考えることをしてみると、案外、なくてもいいかも、とか。
テレビの悪口を言うわけではないが、テレビって観なくてはいけないし、タイムテーブルも勝手に決まってるし、結構、拘束感の強いモノだな、とか。
ラジオは、聴きながら、できることがたくさんあるしな、とか。
恐らく、今までテレビでつぶしていた時間は、映画鑑賞と読書時間に変換されてるな、とか。
アルことが当たり前のコトについて、立ち止まって、本当に必要かどうかを深~く考えることを始めると、余計なモノが減っていきそうな気がするのであるが・・・・。そういえば、同じようなことを考えたことがあったなぁ、あれは・・・。
続きは次回に。
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