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恐怖と便利

 現代においての文明の利器は、きっと携帯電話。すでに電話機能だけでなく、その他の機能満載になり、あらゆることを携帯で済まそう、ということがほとんどだ。

 が、この文明の利器があまり好きではない私。

最近、ある会で一緒に動くことがよくある20歳代の彼らは、携帯メールをかなり駆使し、じゃんじゃん使ってくる。
いや、悪いわけではない。悪いことでもないが、ほんの数日間のやりとりで携帯メール着信恐怖症・・・・おおげさなことではない。

ちょっと携帯を放り投げたい気分に陥った。
着信しても放置し、忘れた頃にじっくりみることにしたのだが・・・。

逆に言えば、「依存症」にもなりうるのだな、と。
 若者(だけではないだろうが)達は、その見えない相手との「つながってる感」を切らせたくなくって、携帯メールに依存するらしい話を、とある講演で聞いたこともある。
メールがきたらすぐにレスしなくっちゃ、絵文字が盛りだくさんなメールには、こっちからも絵文字が盛りだくさんでレスしなくっちゃ・・・etc.

しなくっちゃ、の後は
 そうしないと、仲間はずれにされる、
 すぐレスしないとイヤな奴と思われる、
 絵文字で返さないと、自分にはそれほど愛情がないのねと思われる・・・

小さな機械の中に、それほどの重い想いがかかっていることの方が、むしろ怖いと思うのだが、現実は本当にそうらしい。

その小さい機械を通してでしか、自分の存在価値を認められないように視野を狭くしてしまうとしたら、、、結構、空しいことである。

 私は面倒くさがりなので、携帯でメールを打つ行為そのものが、面倒だったりする。返信をするのに、かなりの時間を要してしまう。

確かに便利だ。電話できない場所から、メールを使って要件を伝えたりできるから。でも、それまででしかない。

前述の講演では、
メールなどのように、マンツーマンのコミュニケーションが主になることで、守秘性が高まり、それが逆に逃げ場を無くしていることも事実、と。

解決策は???

便利さに慣れたなら、それを棄てることはきっとムリ。
であれば、ムリにで機械を通さず話す機会を、どんどん作っていくことしかないのではないか。


携帯を不携帯にする、というイマイチなことをタマにすればいい。
どこにいてもかかってくる電話のウザさを、案外知ることになるかもしれない。いや、もっともっと不安感を感じる人も出てくるのだろうが、もっと大きく構えられる心の余裕をムリにでも、作る努力を、メールの絵文字返信と同じくらいするベキだろう・・・。

みんなが面倒くさがりになる、という手もなくはないが・・・
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いしはらまき さま
コメントをありがとうございます。
つながっている先が「人」だということが深く認識できていれば、いいのかもしれないですけどね。

80yukiko さま
携帯に敬意ですか・・・。
私は人生でまだ2機目です。結構、大事にはしてるかな・・・。

結局

相手都合、自分都合だもんね。携帯って。
自分の都合でかけちゃって・・・
自分の都合でお返事して~
でも便利さは否めないと思うんだよね~
うまくその辺折り合えるといいかなと思います~

私は、半期に一度のペースで自分の不用意さから、携帯を落としたり車で踏んだりトイレに流したり・・・しております(笑)。

そして、いよいよ家族に言われました。
「もっと、携帯に敬意を払ったら?」と。
そうなんです、携帯に対する敬意がの念が私には足りなかったのです。依存するのも困りものだか、敬意がたりないのもまた、困りもの v-16
訪問ありがとうございます
プロフィール

コワタリ ユミコ

Author:コワタリ ユミコ
青森県出身。

まだまだ好奇心を
増やしたい。

増やした好奇心で
行動したい。

行動したら、感動したい。

感動したら、感謝したい。

そういう46歳で
ありたい。

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